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映画『ダーク・ウオーターズ』を観て

 環境汚染問題をめぐって1人の弁護士が十数年にもわたり巨大企業との闘いを繰り広げた実話を、環境保護の活動家という一面も持つマーク・ラファロの主演・プロデュース、「キャロル」のトッド・ヘインズ監督のメガホンで映画化。
 1998年、オハイオ州の名門法律事務所で働く企業弁護士ロブ・ビロットが受けた思いがけない調査依頼。それはウェストバージニア州の農場が、大手化学メーカー・デュポン社の工場からの廃棄物によって土地が汚され、190頭もの牛が病死したというものだった。ロブの調査により、デュポン社が発ガン性のある有害物質の危険性を40年間も隠蔽し、その物質を大気中や土壌に垂れ流し続けた疑いが判明する。ロブは7万人の住民を原告団とする一大集団訴訟に踏み切るが、巨大企業を相手にする法廷闘争は、真実を追い求めるロブを窮地に陥れていく。ロブの妻役をアン・ハサウェイが演じた。

【文学コメント】
 公害・環境問題に関心を寄せる多くの人に観てほしい映画である。 デュポン社を、チッソや石原産業、東電に置き替えると、まさにその問題の根深さや、解決への困難さが身近な問題として迫ってくる。
 本来、企業弁護士だったロブ・ビロットが、祖母の知人で大農場の経営者だった人物の訴えを受け入れて、大企業デュポンを相手に裁判に踏み切り、ロブの弁護士事務所も、この裁判闘争を支援していくこととなる。しかし、その過程で、妻との葛藤や子供達との一家団欒を犠牲にして、この訴訟に取り組むロブの苦闘は、多少なりとも日本の公害・環境問題に関わった人であれば、十分理解できるはずだ。 このデュポンとの戦いは現在も続いており、ロブの闘いを遠く日本からも支援したいと思う。(渡辺文学)
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タバコ問題首都圏協議会「望年会」で伊佐山芳郎弁護士と対談

タバコ問題首都圏協議会 2022望年会が12月18日(土)午後2時半から「Zoom会議」(オンライン)で行われました。
午後3時前から4時まで、約1時間、伊佐山氏と「嫌煙権運動」の発足当時からの思い出や、平山雄博士、中田喜直先生との交流など、以下の「対談メモ」に沿って話を進めました。この「Zoom会議」に参加された皆さんから、おかげさまで好評を頂きました。
 当日の伊佐山芳郎弁護士との対談メモを紹介させて頂きます。
・1978年2月18日:四谷駅近くの「写真文化会館」で、中田みどりさんの呼びかけで(昭和53年) 「嫌煙権確立をめざす人びとの           
            会」設立総会/伊佐山氏が、世界各国のタバコ規制について報告。
・   4月04日:伊佐山氏の呼びかけで「嫌煙権確立をめざす法律家の会」結成。
・ 4月09日:「全国禁煙・嫌煙運動連絡協議会」発足。代表・白石尚氏、事務局長・渡辺文学
           (禁煙8団体/嫌煙3団体が参加)
・   4月11日:衆議院公害・環境特別委員会で、草川昭三議員が「嫌煙権」を中心に質問。厚生省が国立病院・療養所を原則禁    
          煙にすると答弁。(5月から、実行された)
・   5月10日:「嫌煙権確立を支持する国会議員の会」超党派で発足。 代表・向山一人/事務局長・草川昭三)
    6月04日:環境週間前日に「全国一斉禁煙・嫌煙行動」実施。/東京集会は国労会館に250名集う。アピール採択の後、
          銀座・数寄屋橋通りで日本で初めての「嫌煙権デモ」実施。
・1979年8月15日:『嫌煙権だより』第1号創刊。平山雄博士が「これからが厳しい戦いだ!」として巻頭に寄稿。(PDF参照)
・1980年4月7日:国鉄・日本専売公社・国を相手どって「嫌煙権訴訟」提訴。弁護団長:伊佐山芳郎
・1983年1月1日:『嫌煙権だより』第9号に中田喜直氏が寄稿。(PDF)
・1983年3月12日:『嫌煙権だより』第10号に平山雄博士が寄稿。(PDF)
・1987年3月27日:「嫌煙権訴訟」判決。橘勝治裁判長が「嫌煙権」初めて認める。但し、原告の請求は棄却。(PDF)
・1993年7月1日:「たばこホロコースト市民法廷」の模擬裁判が港区の芝青年会館で実施。被告たばこ事業会社と大蔵大臣に有
            罪判決。(PDF)
・1995年10月26日:平山雄博士逝去。(PDF)
・1997年11月18日:「たばこ病110番」が、四谷弁護士ビルの三枝法律事務所で開設。 「たばこ病訴訟」を念頭に、わが国で初の 
             原告を原告を募る試み。(PDF)
・1998年5月15日:東京地裁に「たばこ病訴訟」提訴。原告団長・荒木照夫/弁護団長・伊佐山芳郎氏。(PDF)
・2000年5月3日:中田喜直先生逝く。(伊佐山氏の追悼文PDF)
・2003年10月20日:「たばこ病訴訟」東京地裁・浅香紀久雄裁判長が原告の訴えを全面的に棄却。「ニコチンの害はアルコールよ  
            り弱い」と不当判決。(「禁煙ジャーナル」と毎日新聞PDF参照)


満2年目を迎えた「吸い殻拾い」

 2019年1月20日から“Think Globally, Act Locally!”(地球規模で考え、足元から行動を!)を念頭に、京王線・芦花公園駅周辺の吸い殻拾いを始めてから本日でちょうど2年目を迎えました。今日から3年目に入ります。拾った総本数は36,655本となりました。1日平均では58.3本となっています◆朝の散歩の際の僅か30分間にこれだけの本数が落ちているということは、全国的には一体何百万本・何千万本が捨てられているのでしょうか◆街頭、家庭、自治体、公園等で捨てられた吸い殻は、毎日、全国の清掃工場で燃やされており、汚染物質が大気中に放出されています。また排水溝に捨てられた吸い殻は河川・湖沼を汚し最終的には海を汚染しています◆タバコ会社とコンビニ会社は早急に話し合って「吸い殻買い取り制度」を設け、1本1円でいいから引き取るべきです◆街の美観を損ない、河川・海を汚染している“ポイ捨て問題”の9割以上は解決するはずです。(渡辺文学)

マイルス・デイヴィス

このほど、「マイルス・デイヴィス クールの誕生」という映画を観てきました。
史上もっとも有名なジャズ・トランペッターの一人として知られるマイルス・デイビス。
ジャズの歴史上、彼はどんな偉業を成し遂げたのか。そして、マイルス・デイビスとは
どんな人だったのか。約2時間の上映時間の中では、彼自身の「声」と、彼がかかわりを
持った多くのジャズメン、音楽評論家、付き合った女性たちの「想い出ナレーション」で
綴った映画でした。しかし、「タバコ」のシーンが多かったのは残念でしたね。
 彼の「声」は酷い声でした。それも道理、当時のジャズメンは、演奏中でも、
自分の出番でないときは、タバコを吸っているのです。マイルス・デイヴィスも例外に
漏れず、ヘビースモーカーであり、かつまた一時期、コカインの常習者でもありました。
 学生時代、新宿・渋谷の「ジャズ喫茶」に度々通っていた私ですが、当時は店内全体に
紫煙が漂い、自身もタバコをくゆらしながら「ジャズ」を楽しんでいた時代でした。
 今思えば「能動喫煙」と「受動喫煙」で肺をたっぷり痛め付けていたわけですねぇ。
 映画でもっとも印象に残ったのは、フランス映画『死刑台のエレベーター』の音楽
でした。映画の画面を見ながら、マイルスのトランペットが主演女優のジャンヌ・モローの
心理状況を即興演奏で表現していくのです。
 その他、場面、場面でのマイルスのトランペットに、60年ぶりに「ジャズ」の楽しさを
味わってきました。

映画「田園の守り人たち」を観て

映画「田園の守り人たち」を観て

事務所から徒歩7分の神保町交差点のすぐ近くに「岩波ホール」があります。
岩波ホールは、ヨーロッパの映画を中心に、素晴らしい映画を選んで上映している映画館ですが、一度も入ったことがありませんでした。
「一度ぜひ…」と思いながら過ごしていましたが、7月26日、「母なる大地で女たちは、愛の種を撒き、人生の実を刈り取っていく―」という看板のタイトルに目を惹かれ、初めて岩波ホールに足を運びました。
 映画は、第一次世界大戦下のフランスで、出征した男たちに代わり、必死に農場を守り続けた3人の女たちの物語です。映画の戦場場面は、未亡人の次男が戦場から一旦帰ってきた際の幻想シーンがたった1回あっただけですが、完全な反戦映画でしたね。
映画のチラシから少し。―「1915年第一次世界大戦下のフランス。ミレーの絵画を思わせる美しい田園風景。二人の息子を西部戦線に送り出した農園の未亡人オルタンスは、やはり夫を戦場にとられている娘ソランジュとともに、冬を前に種まきに備えなければならない。オルタンスは若い働き手フランシーヌを雇い入れる。誠実な彼女は女主人の信頼を得て、家族同然に暮らし始める。女たちだけではなく、前線から一時休暇で帰ってきた次男ジョルジュは、慎ましやかなフランシーヌに惹かれて……。」
2時間20分の映画でしたが、男たちに代わって一所懸命に農場を耕す女たちの働く場面と、次男とフランシーヌの「愛」の場面が印象的でした。
ところで、この夜の岩波ホールでこの映画を観ていた人は、なんと6名。220席の館内に、わずか6名とは……。入場率はなんと2.7%という観客で、これでは、電気代にもならないのではないか、と心配した次第です。

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