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西條秀樹氏の「死」に思う

西條秀樹さんの63歳での死に思う
 人気歌手の西條秀樹さんが63歳という若さで他界しました。マスコミは大きく彼の死を報じていますが、病気になった48歳当時、西條氏の手記に以下のコメントがありました。「…そのときまでぼくは、最高に健康な男だと過信していました。若い頃からワインを毎晩2本、タバコを1日4箱という生活でした…」―ワインもさることながら、タバコを4箱(80本)も吸っていれば、肺も心臓も脳も悲鳴を上げていたに違いありません。
 禁煙運動関係者のコメントを紹介します。
【橋本洋一郎氏/熊本】
≪『養生訓』=貝原益軒:1713年(83歳)=タバコには毒があると述べています/松田道雄訳、中公文庫1977年5月10日初版発行/2017年1月30日22刷発行)≫
•たばこには毒がある。煙をのんで目がまわってたおれることがある。
•習慣になると大した害はなく、少しは益があるというけれども、損のほうが多い。病気になることもある。また火災の心配がある。
•習慣になるとくせになって、いくらでもほしくて後になってはやめられない。することが多くなり、家の召使いを骨折らせて、わずらわしい。
 はじからのまないのにこしたことはない。貧民は失費が多くなる。
※(300年前と今もあまり変わりないことが分かります)
【掛園浩氏/佐賀】
西城秀樹さんが急性心不全で亡くなりました。タバコ煙に含まれる有害物質は、全身の血管の動脈硬化を引き起こし、血流を悪くします。喫煙者の血色が悪くなるのはこのためです。生命維持に不可欠な脳や心臓が、許容能力を超えて動脈硬化が進むと、病気としての症状が出てきます。西城さんが病気の症状が出たのは2003年で「ラクナ梗塞」という、脳内の細い血管が動脈硬化などで狭くなって血液の流れが悪くなる、脳血栓症のひとつでした。動脈硬化が生じてしまった血管が元の状態になる事はないでしょう。動脈硬化の原因を除去すれば、進行はある程度防げますが、加齢による進行は防げません。1  
喫煙の危険性をもっと早く警告していれば、西城さんの不幸は避けられたのではないのでしょうか?ご冥福を祈ります。

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主婦会館・プラザエフの「喫煙室」撤去のお願い

 主婦会館プラザエフ理事長 清水鳩子様

 1978年、コピーライター中田みどり氏が、「嫌煙権」を提唱してから、今年はちょうど40年という節目の年です。当時、ほとんど全ての公共の場所、職場、交通機関、病院、劇場、野球場など、タバコは野放しの社会状況で、わずかに新幹線「こだま号」16号車にたった1両の禁煙車があるだけでした。
 それから40年、今、全国の病院、学校、公共の場所、交通機関、劇場、野球場、競技場、国技館などのタバコ規制が進み、厳しい喫煙規制はもはや常識となって参りました。このような社会状況の変化は、やはりタバコの害が周知徹底されてきたことがありますが、最大の理由は「受動喫煙」の健康被害が大きくクローズアップされてきたことが挙げられると思います。
 「受動喫煙」は、非喫煙者に深刻な健康被害を及ぼします。これが、厚生労働省の「健康増進法」施行のきっかけとなり、2003年5月以降、多くの公共の場所、交通機関、劇場、競技場等のタバコ規制は、この法律の実施以後、大幅に進んで参りました。ところが、残念ながらまだまだ職場、ホテル、旅館、飲食店などの規制対策は不十分で、タバコの煙と臭いが野放しとなっているケースが多く、先進国だけではなく、アジア、アフリカなど発展途上国と比べても、大幅に遅れているのが現実の姿です。
 実は、これまで行われた多くの意識調査・アンケートなどによれば、喫煙者の7割以上は内心「やめられればやめたい」と思っていることが明らかとなっています。厳しい喫煙規制対策は、タバコの煙に悩んでいる多くの非喫煙者を救い、同時に「やめたい」と悩んでいる喫煙者を救うことにもなっています。
 主婦連合会が経営・運営されている「プラザエフ」という文化施設の中に「喫煙所」が設置されていることは、時代の流れ、世界の趨勢に全く反する行為ではないでしょうか。 2005年2月27日から発効しているWHOの「タバコ規制枠組み条約」では「100%の無煙環境」を各国政府が責任を持って実現することをガイドラインで決議しています。
 ここ数年、先進国だけではなく、多くの発展途上国でも、「屋内全面禁煙」が実施されており、これが喫煙者・非喫煙者双方の健康と生命を守る大きな目的ともなっています。「やめたい」と考えながらニコチンの強い依存性によって禁煙できないスモーカーにとって、最も有効な対策は「全面禁煙のルールを作る」ことではないでしょうか。
 どうか、貴館におかれては、タバコの煙と臭いに悩んでいる非喫煙者を救い、同時に「やめたい」と悩んでいる喫煙者を救うためにも、館内に設置されている「喫煙室」を早急に撤去されるよう、強く要望いたします。
 禁煙ジャーナル編集長 渡辺文学

「3つのオレンジへの恋」閉店に

 この一風変わった名前のお店は、早稲田大学南門を入ってすぐ右手にある「オムライス専門のレストラン」でした。オーナーの山内通生さんは、脱サラで16年前にこのお店を始め
開店当初から完全禁煙のお店として、多くの早稲田大学の学生や教授、大学職員のファンを得ていました。数多くある大学サークルの連絡場所ともなっていたようです。
 山内さんとの交流は、いつ頃からだったかよく覚えていないのですが、タバコ問題首都圏協議会の「世界禁煙デー」だったか、「望年会」への参加がきっかけだったと思います。
 その後『禁煙ジャーナル』の愛読者にもなっていただき、何回か寄稿も頂きました。
 また、小生が2003年に花伝社から刊行した『よみがえれ球音』の出版記念会や、急逝された塚田啓一さんの「偲ぶ会」なども、この「3つのオレンジへの恋」を借り切って行いました。実は山内さんは大のオペラファンで、お店の名前の由来もオペラの中にある歌のタイトルだったそうです。
 前回のブログで、「スモークフリー銭湯の会」について書かせていただきましたが、この「SFSの会」の前、4月28日(土)の午後1時から、有志が集まってせめて一言、長年にわたって「禁煙レストラン」でがんばってこられた山内夫妻に御礼を、という趣旨で、山内オーナーの要請もあり、通常の営業時間の中で、お店の奥を数席空けておいて頂き、集まりました。午後1時少し前にお店に着いたところ、すでに丸山純・恵梨子夫妻が二人の男の子と4人でオムライスを食べていました。定刻になると、作田学先生、中久木一乗さん、辻丸卓美さん、秋山瑞季さん、金子守年さんも参加し、オムライスだけでは少し寂しいので、瓶ビールを2本注文。コップに2杯くらいづつ「適正飲酒」でした。
 この朝私は、事務所に来る前に、山内夫妻に花束を贈呈しようと思い、九段下の花屋さんに注文していましたので、学生さんが途絶えるのを待って、お店の前で記念写真を、と思いその花束を君枝夫人に手渡しました。
 「3つのオレンジへの恋」は、5月11日で、16年間の幕を閉じることとなりましたが、山内さんから「禁煙ジャーナルの読者は続けます」と嬉しい電話を頂きました。

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