2000年5月3日、中田喜直先生が他界されて、早くも20年目を迎えました。1978年に中田みどりさんが「嫌煙権運動」を提唱、その後日を経づして、同じ「中田」の縁もあって、中田先生もこの「嫌煙権」に全面的に賛同いただき、1980年10月に波書房の奥野彰氏の熱心な勧めによって『嫌煙の時代』を中田先生と私の共編著という形で世に問うてから、40年という節目の年でもありました。
『嫌煙の時代』の巻頭、推薦の言葉では、平山雄博士(当時、国立がんセンター疫学部長)が「新しい時代に入った」と題して以下の一文を寄せて下さっています。(抜粋)―「徳川から明治への変革期が、獅子の時代と呼ばれている。従来の習慣が、古い制度が、価値観が、そして思想が、がらがらと音を立てて崩れた時代である。似たような変革は敗戦の時にもあった。嫌煙の時代に入ったのに、それを逆行させようと、一部の評論家はヒステリックに叫んでいる。タバコ産業はむろん抵抗している。しかし、所詮、怒涛のような時代の流れに対しては、無駄な努力に過ぎない。行き先は見えている。すべて時間の問題である。嫌煙の時代、それはやがてくる喫煙追放の時代の前ぶれである。先進国のほとんどでは、すでに喫煙追放の時代に入っている。日本にもやがてその時代がくる。その幕あけが、嫌煙の時代なのである。その経緯が記録されている本書には、歴史的意義があるといえる。―
「やがて」が40年もかかってしまったことには、いかにJTと政府と国会、抵抗勢力がタバコの延命策を図ってきたかが伺われるが、いずれにせよ平山先生が「時間の問題」としてとらえておられたことは、正にその通りでした。
中田先生のタイトルは「タバコを吸う、ということは」でした。冒頭、先生はこのようなことを主張されています。―「人間の生存に最も重要な空気を平気で汚し、他人にも多くの迷惑と害を与えながら、美しい音、美しい文章を説く人は本当の芸術家といえようか。(中略)。私はタバコを吸う教育者、政治家、宗教家、医者等を信用していない。(現実には、タバコさえ吸わなければ本当にいい人で立派な人も少しはいるけれど)」―
そして文章の最後には「“考えたら、タバコは吸わない”。これが文明社会の一番当たり前の考え方なのである。」と締めくくっておられました。
なお、毎年5月に中田先生を偲んで開催されてきた「水芭蕉コンサート」は、今年20周年を迎えていましたが、新型コロナのために、1年延期されました。
スポンサーサイト